VOL.11 奥村雪男役・福山 潤
オフィシャルインタビュー

TEXT=鈴木 杏(ツヅリア)

『雪ノ果篇』からこそが、一番やりたいと願ってきたところでした

――『雪ノ果篇』を振り返ると、演じ手としてはどんなところが楽しかったでしょう?

青森でのエピソードではシュラと八郎太郎のストーリーをメインとしつつ、雪男はずっと別軸で動いていましたよね。第10話ではライトニングから教えられたキーワードを元に、遂に自分たちの出生に関する情報を得るなど、大変重要なくだりも描かれています。そんな2つの線で物語を楽しんでいました。

――第11話では雪男がメフィストを撃とうとする凶行に出てしまいます。

取調室でのシュラの発言にもあるように、本当には雪男が撃ったわけではないにしろ、撃とうとしたことも含めて、いよいよ自分では抱えきれないものが生まれてしまい、かつそれを処理しきれていないのが分かります。冷静に考えると、メフィストを撃つメリットなんて何もないですからね。頭が良すぎるあまり、彼は自分で処理できるキャパシティを測る前に、それを抑え込もうとしてしまいました。どこかで吐き出せたら良かったんですけど、それができない一番の原因として、彼の人に相談できないという性分がありますし。しえみは雪男を完璧な人と言ってくれますが、結局そう見せることが、自分を守る術なんです。プライベートな部分を外に出せないぶん、“奥村雪男とはこういう人”とパブリックな姿を作ってしまえば、コミュニケーションを取るうえでも自分に踏み込ませる必要がありませんから。能力が高ければ高いほどそれが可能になってしまい、そうやって雪男は自分を守る殻を作ってしまいました。ただその結果、メフィストを撃とうとするところまで行ってしまったという、言うなれば弱い人が持つスイッチを押してしまったんでしょうね。

――ちなみに今回の『雪ノ果篇』では、メフィストも少なくない犠牲をはらっていることが明かされてきています。改めて彼のことはどのように捉えていますか?

僕はずっとメフィストが、『青エク』の裏主人公だと思っています。「時の王」としていろんなことを知っているようですし、どうも何度か失敗を繰り返している様子ですよね。軸となるのは燐、雪男、しえみのため、彼のそういう物語が詳しく描かれることはないのかもしれませんが。

――今回の襲撃現場あたりでも、雪男をうまく刺激するなと感じました。

真実を語ることが正解かも分かりませんけど、とにかくメフィストとしては何かしらの考えがちゃんとあるんですよね。面白いのが、彼は情報を与えて誘導もするけれど、道自体は別段決めていないんです。不確定な結末になることを、むしろ歓迎しているんですよね。普通、時を操れる能力があったら、良い結果に導いていこうとするものですが、メフィストって「これはこれでアリ」も多いと感じます。非効率的だったり、感情の流れによって全然違う道になったり、想像していないところに落ち着く結果も、拒絶していないのが興味深いです。

極論、正十字騎士團に未練はないと思います

――再び雪男の話に戻ると、第9話で勝呂を脅すのをはじめ、物語後半に差し掛かるにつれ、今までにない行動が見られます。

勝呂のシーンに関しては、撃つ気は毛頭なかったけれど、本気で脅していたとは思います。おそらくそれは追い詰められているからとかではなくて、「この段になって、生ぬるいことをしている時間はない」ということでしょう。雪男はこれまで自分は魔神(サタン)の力を継いでいないか繰り返し確認し、自分自身にも大丈夫だと言い聞かせながら生きてきました。ただ若くして中一級祓魔師まで上り詰め、天才とも言われるほど頑張ってきたわけですが、それも魔神の力があったら、無駄にならないか? もしくは、自分が周りから狙われることになったら、戦う術になり得るのでは? つまりそうやってふたつの線を共存させながら、生きてきた人だと思うんです。そのぶんどこかでバランスが崩れると、どこかが駄目になってしまう。

――それを踏まえると、ああいった行動も理解できるというか。

今重要なのは、塾講師という立場や、この人たちとうまくやっていきましょうといったパブリックな自分よりも、情報をさらうこと。そしてこのタイミングを逃すと、それこそパブリックな姿を維持すること自体が無駄……。理知的に考えたのではないにしろ、そう直結させて判断してしまったのではないかと。それに正直、それほど勝呂のことを重要だとも思っていないと思うんです。というのも、勝呂ひとりで自分の抱えていることや、魔神を取り巻く問題が解決できるのかといったら、そうじゃないでしょうというところで。

――「騎士團での僕はもう終わった」というセリフもありました。

「終わった」というのも、何に関して?というところですよね。騎士團内で、聖騎士(パラディン)まで行こうとしていたのか? もしくはポジションを築いて、自分と燐をしっかり守りながら状況を改善しようとしていたのか? どれを指しているのかは置いておいて、とにかく自分の命自体も脅かされる状況になっている。だから僕はこのセリフは諦めではなく、「次の選択肢に行くしかない」という意味だと受け止めています。極論を言えば、おそらく雪男は騎士團に未練はないと思うんです。どうしても騎士團でなければダメだといった考えは、全然ないと思うので。

踏み込んでいないのは、燐のほうなんです

――雪男は獅郎から兄を託されて生きてきて、今はそんな燐と分かり合えない状況が続いています。それでもこの時点において、燐を守ろうという気持ちはやはりあると思われますか?

それは絶対あるんです。でもじゃあどうやって?というところですよね。最初の頃は、燐を覚醒させず力を使わせないことで、騎士團内で狙われないよう、危険視されないよう、表立たせないように……と、組織の中で生きる術としての行動を取っていました。でも燐にはその振る舞いがうまくできない。それであれば、組織にとって有益だと思わせる方向に持っていくしかないと切り替えた。だけど今度は燐の存在が大きくなればなるほど、自分自身に疑いの目が向けられるようになり、そのうえ自分としても受け入れられないことではあるけれど、自分自身にも不安要素が出てきてしまいました。兄弟共にこうなってしまったら、いよいよどうしようもなくなってしまう。しかも獅郎は、兄さんを守るんだぞと言いながら、僕らを武器として育てようとしていたのでは……という疑惑まで出てきてしまった。そんな状況下で、もう騎士團という組織内でどうこうする段階ではないよね、と。

――それであればなおさら、燐とうまく行っていない状況がもどかしいというか、辛く思えてしまいます。

あー……。僕は、雪男自身は「辛い」と感じているのかしら?と思うんです。極論、燐って、雪男に踏み込んでこないんですよね。気を遣っているんですよ。例えば第8話で自分たちの出生について、「…兄さんは今も知る必要ないって思ってるの?」と聞くと、「俺はもう十分だ」と返してくるじゃないですか。普通のコミュニケーションとして考えたときに、「何で知りたいの?」と雪男の気持ちを聞いたりするものですよね。でも燐はそれをしない。これって投げかける側からすると、シャッターを下ろされているのと同じなんですよ。だから実は、雪男は燐に踏み込んでいるのに、燐のほうが雪男に踏み込んでいないんです。だから辛いとかじゃないのかなって。

――『雪ノ果篇』もいよいよ次回が最終話です。

このまま終わるわけがないというところで、物語は『終夜篇』へと続いていきます。まずはなぜ一度ここで区切っているのか、『雪ノ果篇』で描かれてきたテーマは何なのか、みなさんと一度振り返る良い機会になっていると思います。雪が降る地の果てから、今度は雪男がどこに行くのか……?という疑問を投げかける『雪ノ果篇』は、改めて活劇でありながら、人間関係や価値観、概念といろんな要素満載でした。雪男にとっては辛い展開となっていますが、その姿を見ながら、みなさんも自身を見つめ直す機会としていただけると、『青エク』が単なる娯楽だけではない作品として受け止めていただけるかと思います。今後も余すことなくお楽しみいただけたら嬉しいです。